家族の笑顔 理想の暮らし

夫と息子の3人家族。現在第2子妊娠中の専業主婦です。育児・衣・食・住など暮らしのあれこれを綴ります。

子宮筋腫 発覚から摘出手術まで その2

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こんにちは✨😃❗

今日もご覧くださり、ありがとうございます❗



今日は昨日の続き、私の子宮筋腫のお話。

摘出手術の詳細を...


昨日の記事はこちら

mameimokuri.hatenablog.com



①手術日決定から、入院日程の詳細、仕事の調整、術日までの心境など

 2017年10月上旬、手術予約をするために総合病院へ・・・。
 
 ベテランの男性医師が担当してくださることになり、院内の産婦人科医の中でも腫瘍手術に長けていらっしゃるという噂を聞いていたので、安心。

 雰囲気も朗らかで、初対面時もこちらの緊張が自然と解けました。

 手術日は最短の予約で約1ヶ月半後の11月末で決定。

 もしかしたらもっと予約が空いていないかも・・・と覚悟をしていたので、私としてはありがたい限りでした。

 手術を決めてからは善は急げと、気持ちは前に向かっていたので、待たされるとまたモヤモヤしそうですし。



 腹腔鏡手術って、良く聞きますが、具体的にどんな手術なのか全く知らなかった私。

 先生が丁寧に説明をしてくれたのは・・・

 お腹に2~3cm程の穴を開けて、細いドリルみたいなものを入れて筋腫を細かくしながら、チューブから取り出すそうです。

 それを確認するためのレンズ(これが腹腔鏡?)みたいなものを同時に別の穴から入れて行うそう。

ドリル用、チューブ用、レンズ用、計3カ所穴を開ける予定。


 開復手術に比べ、傷口が小さいので術後の体の回復が早いのが特徴。

 全身麻酔を使用する。

 入院期間は約1週間。
 
 本人の回復具合を考慮して多少前後するとのこと。

 退院後、1週間自宅安静の後、仕事復帰可能とのこと。

 ただし、私の場合、仕事内容が力仕事のない、事務仕事だったこともあると思います。

 体力勝負の仕事なら、さらに1週間休みを取った方がいいとのこと。

 仕事を始めて半年足らずの時期だったので、有給もありませんし、職場に迷惑をかけるという思いもあり、最短の2週間での仕事復帰を目指すことに・・・。

 職場の上司には、ここまで日程調整を決めた上で報告。

 体のことだけで言えば(精神的には1日も早く済ませたい)急を急ぐ手術ではないので、もし、この日程での欠勤の許可が出なければ再度病院に相談して調整しようと覚悟はしていました。

 そんな私の心配は不要で、上司が了解を得てくれ、2週間のお休みをいただくことに。

 休職期間まで、1ヶ月半ほどあったので、出来る限り仕事を前倒したりしながら過ごしました。
 
 もちろん、私にとってはこれが初めての手術だったのですが、この1ヶ月半、手術に対する恐怖心はあまりなく。

 月経過多や2人目不妊など、体のトラブルが引き起こす精神的なものからの解放の方が待ち遠しかったです。

 それに、あのMRI写真の画像が頭に焼き付いていて・・・。

 あんな大きなものがお腹からなくなったら、お腹少しはへっこむかな?

 とか、プラスのイメージもありました。

 経験がないからこそ、無知でのんきにいられたのは息子を出産した時の陣痛にも似てるかな?

 痛いし苦しいんだろうけど、想像がつかないから大丈夫みたいな。

 それでも、少しでも情報を得るべく、様々方の手術体験のブログを読み漁ったりはしていました。


 
 
②2017年11月末 腹腔鏡にて子宮筋腫摘出 入院の日。

 手術前日の月曜日のお昼前に入院。

 平日だったので、実母が付き合ってくれました。

 のんびりしたくて個室にしてもらおうか迷いましたが、そこは節約で4人部屋にしました。

 同じお部屋の他の3名は切迫早産で入院中(内1名は妊娠高血圧症候群も併発)の妊婦さん。

 3名が仲良く、すごく雰囲気のいい病室でホッとしました。

 心配だったのは、重度のつわりで苦しんでいる方とか、一緒の部屋だとかわいそうでつらいなということだったので・・・。

 3名はもう何週間も入院生活が続いていて、その中でも生活の制限がそれぞれ違っていて。

 自由のない妊娠生活に参っていらっしゃるようなところもありましたが、赤ちゃんが生まれてくるという明るい未来のために前向きな気持ちでがんばっていらっしゃるのが伝わってきたり。

 今現在、特にどこかが苦しいわけでもなく、入院生活のゴールが見えている私とは立場も違う3名だったけど、息子の話をしたりしながら、すぐに打ち解けることができました。

 今思えば、入院中、彼女たちとの会話にどれだけ救われたか。

 個室にしなくてほんとによかったと思っています。


 この日は麻酔科の先生とのお話や、検査などでわりとのんびりスケジュール。

 夕食を最後に絶食になると聞かされていただので、これから頑張る自分のために売店で好きなものを買おうと思いました。

 この病院、パン屋さんが中に入っていて、イートインできるコーナーもありました。

 メロンパンと飲み物を楽しんで・・・。

 もちろん病院着ですけどね笑

 夕食もおいしくいただき、いつも通り眠りにつきました。


③手術当日

 火曜日、手術当日です。

 朝から絶食、浣腸したり、点滴入れたり、着々と準備が進みます。

 手術は午後から。

 大きな病院なので、緊急の患者さんが入るかもしれないし、手術時間は前後するかもとのこと。

 手術中は身内のだれかが、待合室で待機が必要とのことで、この日も母が付き添ってくれました。

 いよいよ手術室へ向かいます。

 緊張はしていたものの、体の調子が悪いわけでもなく、車いすに乗って運ばれている自分がなんだかおかしかったのを覚えています。

 そんな私とは逆に、心配で今にも涙ぐみそうな母。

 そんな母を見ていると、尚更自分は冷静になってしまいます。

 手術室は想像していたより広くて、何やらPOPなミュージックがかかっていました。

 手術の緊張感とはかけ離れすぎていてまた笑えてきます。

 跡から噂できいたところによると、音楽のチョイスは執刀医がするのだとか。

 気分よく手術してもらえるならそれでいいかと思えます。

全身麻酔で意識もなくなるので)

 点滴で意識がなくなったあと、腰椎の麻酔をされるとのことだったので、どんなものかと思っていたら。

 点滴を入れてほんの数秒で全く記憶がなくなりました!


④手術後の様子

 午後14時頃から1~2時間程度で終わった手術だったと記憶していますが、(記憶曖昧です)気が付いたら夜8時くらいだったのかな?

 正確には分りません。

 手術室ではなく、その隣の集中治療室で目が覚めました。

 (術後、集中治療室で1泊すると聞かされていました。)

 「目が覚めた」、というよりは「ぼんやり意識が戻った」という感じでしょうか?

 体が熱くて、だるくて、息苦しい感じ。

 視界も狭く、暗い。

 それに加えて、点滴のチューブやら、心電図やら、酸素濃度を測る機会やら、ありとあらゆる線に自分ががんじがらめにされているような不自由感。

 とにかく不快でした。

 夫もそこにいたような気がします。

 孫のお世話で帰宅した母の代わりに、叔母もいてくれたように思います。

 それすら曖昧。

 看護士さんが優しく声をかけてくれましたが、何を言われても声も出ない。

 イエス、ノーで答えられる質問にうなずいたり、首を横に振ったりしながら答えていたような気がします。

 この時の事、後で叔母に聞いたら、途中心拍も下がって、見ている方はこのままどうにかなっちゃうんじゃないかと怖かったとのこと。

 全身麻酔の術後の経過としてはあることなんだろうけど、付き添う側は見ていてドキドキですよね。

 本人は意識があるようでないような時間のことなので、ある意味他人ごとでしたが(*_*)

 そのまま、その日は集中治療室で就寝。



⑤手術翌日から退院まで

 手術翌日の水曜日、なんとか意識もはっきりして普通病棟に移動。

 腰椎から入れる麻酔はこの日も継続中。

 術後の傷みも全くありません。

 記憶が曖昧なのですが、この日のお昼位から食事が出たように思います。

 体調は絶不調。

 空腹感も食欲もありません。

 なにせ、起き上がっていることができない状態。

 頭がふらふらして、めまいのような感覚。

 横になっていればまだまし、起き上がろうとするための体を支える力もなく、何かに体を預けたくなります。

 そんな状態で、食事なんてとれるわけもなく。

 看護士さんが、少しでも簡単に口に入れられるものをと気遣って、私のメニューにイオン飲料を付けるようにしてくれたり。

 お見舞いに来てくれた母とも一言二言会話するのがやっと。

 加えて、術後から続く点滴やら、フットポンプ(寝たきり状態の血栓予防)やら麻酔のチューブ、導尿(まだ起き上がれないので、自力でトイレもできません。)、数々のものにがんじがらめにされている不快感。

 横になったらすこし眠れるけど、すぐに目が覚め、不快感、不調感を感じます。

 特に足に着けていたフットポンプがかゆくてかゆくて。

 もしかしたらそれは麻酔の副作用だったのかもしれません。

 痒みが気になって、でも、自分で手を入れてかける隙間もなく、頭がおかしくなりそうでした。

 こんな状態が翌日木曜日の午後まで続きました。

 退院なんて、まだまだ先になりそう・・・。

 そんなこと思っていた矢先。

 ある看護士さんが、「ちょっと無理してでも歩いてみる?そしたらトイレも行けるようになって導尿はずれるし。少しでも動くと回復早いよ。」
 
 と提案してくれました。

 私自身はまだまだそんなこと無理って思っていたけど、看護士さんの補助の下、歩行器を使用して挑戦してみることに・・・。

 この時、フットポンプから解放されたことのうれしかったこと!

 足も頭もフラフラしながら、立ち、一歩一歩踏みしめるように歩いてみます。

 立って、歩ける!

 その感覚に感動。

 こんな状態でも、なんとか歩けるんだ!

 と、自信がつきました。

 その後、自力でトイレも可能になり、腰椎の麻酔もはずしてもらえました。

 点滴だけはつながれていましたが、身軽になったことで、精神的にも明るくなり、この日の夜までにみるみる回復。

 夜ご飯のおいしかったこと。

 お昼まではメニューが何だったかすら見えていない状態でしたが、しっかり食事の間座っていられることが嬉しくて。

 突然元気になった私に同じ病室のみなさんも声をかけてくれて・・・。

 元気じゃなかった時も彼女たちの会話が聞こえてきて、聞いているだけで楽しかったのですが、自分の参加できる位元気になったことが嬉しかったです。

 体調とは裏腹に、この日の夜は目が冴えて、夜中全く眠れず。

 ユーチューブでひたすら好きなアーティストの音楽を聴きながら過ごしました。

 しっかり眠れたのは2~3時間程度かな?

 今思えば、この変な興奮状態も、麻酔の影響だったのじゃないかと。

 全身麻酔の威力、すさまじいなと思います。

 翌日金曜日には、なんと退院の許可。

 お迎えをお願いした母も、木曜日の私の様子から一転、びっくりしていました。

 なにはともあれ、4泊5日で無事退院できたのでした。




私の子宮筋腫手術記録、明日、退院後のことなどもう少し続きを書きます。
長々とお付き合いいただき、ありがとうございます。





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